関西地方

おいたち

ほくを
ほくを
初めまして!ほくをです!

突然ですが、今の私の現状を言わせてください。

24歳、貯金ゼロ、借金約90万円ほどあります。
その上実家暮らしで友達もゼロ、彼氏もいない、高卒なので選べる仕事も少ない中、転職ばかりを繰り返して不安定な状態です。

この情報だけだと、人生詰んだ人間にしか見えないと思います笑
いや、実際詰んでますね笑

じゃあ、なぜ今このブログを書いているかと言うと

ほくを
ほくを
今の状況から、本気で抜け出したいからです。

なんとか今の状況から抜け出す方法はないかと必死に探しました。
見つかるまではそんなに長くはなかったです。

ただ、コレならいけるかも!と心の底からワクワクしたのは久々でした。

それはWEBマーケティングです。

もちろん、経験もスキルもゼロです。

でも、なぜそんな私がWEBマーケティングに可能性を感じたのか?

私の自己紹介を交えながらお話しをしたいと思います。

ほくを
ほくを
最後までどうぞよろしくお願いします!

幼少期の思い出

私は、青森県で生まれ育ちました。
他から見るとごく一般的な家庭に見えていたと思います。
いや、見せていたと思います。

幸せかといえば、はっきりYESとは言い切れるほどではありませんでした。

覚えていることは、酒癖の悪い父親がいつものようにお酒を飲んで暴れている光景。
それをいつもお母さんが止めにいっていた記憶があります。
もちろん、泣いている時もありました。

私には、2人姉がいて3姉妹なのですが、一番上の姉とは11歳離れていました。
私が小学校に入る前には、一番上の姉はすでに家を出ていました。
小さかった私は、一緒にいれなかったことがすごく悲しかったのを覚えています。

でも、今思えば父親があんな状況なら家を出ていくよねとも思っています。

そして、真ん中の姉もおばあちゃんの家に逃げるように行ってしまいました。
なぜなら、父親はある時を境に働かなくなってしまい、昼間から酒を飲みずっと家にいるようになってしまったからです。

その代わりに、専業主婦だったお母さんはもちろん働きに行くわけで私と姉が学校から帰ると家には大好きなお母さんはいなく父親がいるわけです。

真ん中の姉もいなくなり、私は家に帰れば父親がいるのが本当に怖くて居心地が悪かったため公園などで時間を潰してから帰るようになりました。

小学校低学年だった私は、学校から出れば時間が分からなかったので日の沈み具合でお母さんの帰ってくる時間を予想をして家へ帰っていました。

この時くらいからだったと思います。
人に人生を振り回せられる感覚ってこんな感じなんだろうと、小さいながらに感じたのは。

それからと言うものは、誰にも振り回されず自由に生きたいと心の底から感じるようになりました。

そしてもちろん、父親のことは絶対に友達などに言いたくなく、家族は仲が良いと嘘を言っていました。
恥ずかしいから?そう言う目で見られるのが嫌だから?今になれば、なぜ言いたくなかったのかわかりませんが、普通の家庭に見せたかったんだと思います。

あれからと言うものの、父親は全く働いておらず、私が小学校四年生くらいの時になると家の事情も少しずつ勘付いてくる年頃で、子供ながらに改めてこの家は貧乏なんだと気付かされました。
母親の給料はその当時で10万円もいってなかったと思います。
そして、父親は家でずっと酒を飲んでいるだけ。

家賃は3万円ほど、もちろん貯金なんてなかったはずです。
私のランドセルは誰かのお下がりで、見るからにボロボロ。みんな新しいランドセルが本当に羨ましかったです。

でも、生活するのもギリギリなのもわかっていました。
お金にも余裕がない、父親の機嫌を気にしながら家にいる状況がとにかく苦痛で、この時お母さんが一番しんどい時だったと思います。

ますます自由になりたい気持ちは、強くなりました。

そんなある日、世間は休日だったと思います。
私とお母さん、そして珍しく真ん中の姉が昼くらいにいて、みんな家でゆっくりしている時でした。

お酒を飲んだ父親がいつも以上に暴れ始めたのです。
そして、いつも以上に暴力を振るってきて小さいながらに「これはやばい」と心の中で思っていました。

「警察を呼んだ方かいい?」「でも、こんな状況で電話をかけたらもっと暴力を振るってくるかも知れない」と頭の中でとにかく助かる方法を探していた記憶があります。

この日があってから、1週間も経たないうちにお母さんから「おばあちゃんの家に行くよ」とランドセルを持つように言われたのを覚えています。

この時は今でもはっきり覚えていて、やっと解放されるとホッとしました。

父親から解放された日を境に、私の気持ちはすごく楽になりました。

あの時、お母さんが勇気を出して家から出ようと行動してくれたことには本当に感謝しかありません。
そして姉2人も帰ってきてくれて、数ヶ月間はおばあちゃんの家が自分の実家みたいになっていました。

ただ、学校はかなり遠くなってしまい車1台で私と真ん中の姉は学校へ、一番上の姉とお母さんは仕事に1時間ほどかけて行っていました。

帰りも一緒でお母さんたちが仕事終わるまで、学校や公園で時間を潰していました。

私は、父親から解放されたことがとにかく幸せでした。

そして、小学校卒業する前には、アパートに引っ越しすることもできて本当の意味でここからが家族にとってリスタートでした。

小学生だった私は、これでやっと自由になれたと本気で思っていました。
今までの悩みが全て解決できたと本気で思っていました。

しかし、それ以上に辛かった経験が待っていました。
それが、中学生に入り、高校卒業するまでと続きました。

中学

中学に入った私は、今まで以上に学費などもかかってくるのは当たり前で私もそれはなんとなく気づいていました。

もちろん、今まで裕福とは言えない生活だったので、贅沢をできるとは思っていませんでした。

ただ、父親の悩みが解決できたことにより、お金の面が目につくようになってしまいました。

当たり前のように、中学指定のリュックはお下がりで、プライベートのお洋服もほとんど姉からのお下がりでした。

中学になり、友達と遊ぶとなるとデパートやカラオケなど、お金がかかるような場所に変わっていきます。
もちろん、毎月のお小遣いなんてものは今までもらったことがないので、遊びでお金が必要になるたびに最低限もらって、余ったら返すようなことをしていました。

正直、全部使っちゃったと言えば良かったのかもしれませんが、余ったお金は生活費に変わるのと知っていたので出来ませんでした。

特に辛いと感じていたのは、一人の友達がアイスを食べたいと言えば、みんなそれに合わせて食べていたのですが、私がそれに合わせてしまうとお財布のお金が無くなってしまうのでそう言う時は、うまく誤魔化して我慢をしていました。

本当にそういうのが、段々辛くなっていき遊ぶことが苦痛へと変わっていきました。
だからと言って、お母さんと一番上の姉は一生懸命働いている中で、贅沢なことなんて言えませんでした。

この時に強く思ったのは、

本当に自由になれているのか?

と言うことでした。

もちろん、父親から解放されたことによって、私の理想な生き方には少し近づいたと思っています。

しかし、お金が絡むもの関しては全て妥協をしなければいけない。ということへの我慢が少し父親がいた時の生活に少し似ていたため、また我慢しなければいけないのかとガクンときたのを覚えています。

私は、ただ一緒にいたい人と過ごして、自分らしく自由に生きたいだけなのに次はお金の悩みかぁ…と越えられない壁の前に立つ気分でした。

そこから、私は将来、幸せに暮らすために自ら稼げるようになろうと誓いました。

中学生ながらに、本気でそう思っていました。
それからというもの、将来についてとにかく考えるようになりました。

正直、勉強はできなかったため手に職をつければ食いっぱぐれることもないし、独立も可能だろうと安易な考えではありましたがその当時の私は考えていました。

高校

青森なので、珍しい学科の高校はなく、手に職をつけるなら工業高校だと思って第一に志望しました。

無事に工業高校には入学ができ、お母さんも喜んでくれたのが今でも覚えています。
普段泣いた顔はほとんど見たことがなかったので、正直私もびっくりしました笑

それからと言うものの、人にも恵まれ、3年間幸せな生活を送れていました。
ただ、お金のことでは中学の時と全く悩みが変わっておらず、ますます早く稼げるようになりたいと思う気持ちが強くなっていきました。

将来は手に職をつけた仕事に就きたいと考えていた私は、専門学校に行きたいと思うようになりました。

もちろん、奨学金の話になったのは誰もが想像をしていたと思います。

しかし、私はどうしても奨学金を借りたくなくて奨学金を借りるくらいなら就職をしてそこで貯めたお金で専門学校に行くことにしました。

この答えが出るまでに、お母さんとは本当に喧嘩をしました。
普段泣かないお母さんを泣かせました。
自分もできないことを言ってるのはわかっていました。ただ、中学からのお金への抑えていた気持ちが爆発してしまったんだと思います。

このできことをきっかけに、できるだけ早く専門学校へ行けるようにと少しでも給料が良いところを選んだ結果、千葉の工場へ就職することにしました。

この時の私は、「やっと稼げる!」と言う気持ちがとにかく大きかったです。

これで、やっと「人にもお金にも振り回されず自由に生きたい」と言う思いが自分自身で叶えらると思ったらワクワクしました。

新社会人

大手企業ということもあり、福利厚生はとても充実していました。
その中でも、寮が月1万5000円だったので、専門学校への貯金にほとんどの給料を回せると思いとにかく無駄使いをせず、貯めていきました。

また、とにかく稼ぎたい気持ちが強かったので、3交代制で今まで女性が働けなかった体力勝負の現場に配属させてもらいました。

現場に配属される前に3ヶ月間だけ研修があるのですが、185名の同期との団体生活がメインでした。
そこで思ったことは、団体生活はとにかく合わないということでした。
仕事のスピードがそれぞれ違う人たちで一緒に仕事をするということがとにかく苦手で、これが個人でできれば、どれだけ短縮できるんだろうなどと常に考えていました。

しかし、この経験がのちに私のWEBマーケティングを選ぶ選択肢として役立つことに今は感謝しています。

20歳〜23歳:コロナからMLM

2年ほど、工場で仕事を続けた矢先にコロナが流行りました。当時私は20歳でした。
もちろん、給料は下がり色々支障が出たのは言うまでもないと思います。

その時に1番最初に感じたことは、このまま雇われ業でいいのか?ということでした。
専門学校へ行くようにと貯金をしていましたが、専門学校へ行った後はまた就職するとなると今の不安は、解決しないと思い独立も視野に入れたところでした。

ただ、独立といっても今の自分はスキルがあるわけでもない、副業から始めるにしてもどんな副業があるかなんてわからない。
やってみたいと思っても、なかなか知識不足の私からすると身動きができない状態でした。
そんな状況でただただ時間が過ぎてしまい、21歳の時でした。

ある日、渋谷を一人で歩いていたら、ある男性からナンパをされ、その人と話をしたのがきっかけで人生が大きく変わりました。

結論から話すと、ネットワークビジネスの勧誘でした。
しかも、ネットワークビジネスでかの有名なアムウェイでした。

今の私の状況からすると、こんなありがたい話はないということでした。
コロナが始まってから、独立したい気持ちは段々強まっていくばかりで、何をやればいいのかわからない私からすると半信半疑ながらチャンスだと思いました。
成功している人から教えてもらえるなら、尚のこと最高だと思い、速攻スタートをしたのを覚えています。

結局2年弱活動をしたのですが、結果どうなったかと言うと…

借金だらけ

寝る間も惜しんで活動をしましたが、ほとんど稼げずに終わりました。
そして、借金だけが膨れ上がりました。

アムウェイを始めて数ヶ月が経ったころ、工場をやめて派遣の営業をしていました。

思うように稼げないどころではなく、毎月の活動費やアムウェイの商品の購入で赤字でした。
結局、営業だけの収入だけではアムウェイの活動費を賄えなくなってしまい、バイトを3本掛け持ちしていました。

本業とバイトと勧誘活動をするために

平日は朝9時〜18時まで、派遣で営業の仕事をして

バイトがある日は19時から24時までバイト

バイトがない日は、仕事終わりそのままクラブで24時くらいまでアムウェイの勧誘活動

もちろん、着替えるために家に帰るのはもったいないため、服は2着持って行っていました。

そのあと帰ってきたら1時から3時で夜ご飯とお風呂を済ませる

土曜日は基本掛け持ちのバイトで10時から24時までバイト

日曜日はイベント行事に合わせて朝から終電まで勧誘活動。

私生活はぐっちゃぐっちゃでした。

生活のために派遣で働いて、アムウェイの赤字分を補うためにバイトを繰り返しているうちに、免許の更新を忘れていたり、終電乗ったのはいいもののそのまま疲れて乗り過ごし、1時間歩いて帰るなんてザラにありました。

この活動をしていたら、いつか死んでしまうんではないかなと考えるようになりました。
そして、ふと鏡を見た時があり、その時の肌がとにかく荒れていていました。

閲覧注意です↓(気分が悪くなりそうな方は本当に飛ばしてください笑)

 

 

 

 

 

たしかに肌の調子は良くないくらいには思っていました。
だけど、こんな状態になっていると思っていなくて、それに気づかないくらいアムウェイに没頭していたんだと思うと、この先の私の人生は幸せになれるのか?と自問自答していました。

最初は、小さい時の嫌な思い出を取っ払いたくて自由になりたいくて人にもお金にも縛られる人生は嫌だからアムウェイを始めたのに、今は借金を返すので頭がいっぱい。

この時に本当に心が折れて、アムウェイをやめました。

関東にいた友達はアムウェイを誘った時に私の信用を無くしてしまって、連絡をいれるようなこともできませんでした。

全て私の行動で起こしたことだと認識していても、やっぱり辛くて借金が残った状態で青森に帰ってきました。

青森に帰った時はとにかく辛くて、これ先すごく不安で、毎日毎日泣いていました。

24歳〜現在

ただ、アムウェイの時の借金が残っているからすぐに働く場所を探さないと滞納してしまうというプレッシャーもあり、とりあえず時給が高かった大手スーパーのレジ打ちの仕事をしました。

そこからと言うもの、借金返済のためだけに働いている感覚でしかなく、飽きたら次から次へと転職をしてしまっている現状です。

少しでも時給が高いところを基準に、何度も何度も転職をしました。
正直、こんなに転職すれば私だってわかります。絶対に幸せになる方向には走っていないということくらい。
そりゃあ、根本的な解決になっていないですからね。

給料日になり、前の会社よりたった1000円多く給料が入っていると喜んでいる自分がいました。
それが情けなくて情けなくて、もっと違うことで喜びたい。このまま借金だけを返していく人生なんて嫌だと強く思うようになりました。

WEBマーケティングとの出会い

その頃の私はと言うと、このまま借金だけを返していく人生なんて嫌だと思いながらも、アムウェイやら借金やらと心が廃れていて、仕事以外はずっと家に引きこもっていました。

お布団の中で、SNSやYouTubeばっかり見ていたら休みが終わっているなんてことも普通にありました。

ただ、ある日Instagramを見ていたら、一つの光がさしかかってくるような出来事が起こりました。

「こもりん」という人が目に入り、パソコン1台で365日旅行をしているという当時の私にはかなりインパクトのあるライフワークでした。
一気に興味が湧き、気づいたら毎日こもりんのInstagramを見ていました。

今考えたら、ストーカーですよね笑
怖いとか思わないで下さい笑

毎日見ているうちに、こもりんは何者なんだ?と調べていくと、
「リモラボオンラインスクール」というInstagramを中心にSNS運用代行やオンライン秘書などを実践的に学べるスクールの代表でした。

変わるきっかけを探していた私は、まだまだ借金は残っていましたが、それは後からでもどうにかなる!という気持ちで入会していました。

入会後は、自分の目標が改めて決まって、第2の人生と言っていいほど前向きに物事を考えられるようになりました。
そして、もう一つ自分を好きになれた環境に出会いました。

もともと団体生活がとにかく苦手だった私からすると、自分のペースで仕事が出来る環境がとても自分に合っていました。

1対1で人と関わることはとても好きなのですが、たくさんの人の中で輪を乱さないように仕事をする環境にとにかくストレスを感じていました。

昔働いていた、工場は自衛隊のような感覚で頭がおかしくなるんじゃないかなと思う反面、団体生活を得意とする人を羨ましいとも思っていました。

しかし、リモラボに出会えてからはこの環境にむしろ強みと言えるほどの性格だったんだと思った時はすごく嬉しかったのを覚えています。

他にも、リモラボに入会して本当によかったと思えることがたくさんあります。

・常に新しい情報が更新されていく
・3日坊主で終わらせないためのマインドからしっかり教えてくれる(90日
間サポートもある)
・孤独を感じないようなバーチャルオフィスがある

ノウハウだけではなく、マインドからしっかり学ぶことができたので、今まで本当に続けることが苦手だった私でも、しっかり継続できたのが本当に嬉しかったです。

今まで自分の気持ちが弱いから続けられなかったと勘違いしていた私ですが、計画性がないということに気付かされました。
しっかり、自分の力量を把握した上で、計画を立てると不思議と続けられた時は自分を少し疑ってしまいました笑

そんな中、ある日のセミナーで1人の経営者が総合webマーケターについての話をしてくれました。

まず率直に思ったのが、

総合Webマーケターになりたい!

という、すごく単純な思いでした。笑

でも、こんな単純に思うくらい以前から、悩んでいたことがありました。

・Instagram以外のSNSも運用代行できるようになりたい…
・そもそもSEO対策なんてやったことがない…
・YouTubeはInstagramみたいな運用方法では上手くいくはずないよね…

と、だんだん出来ないことが目につくようになっていきました。

そして、このお話を聞きながらコレだ!!私が求めていたことは!

と、心臓がバクバクしていたのを今でもハッキリ覚えています。

速攻WEBマーケターコースへの申し込みをしました。

もちろん、貯金はゼロなので、リモラボの方と相談させていただいて月々のお支払いにしてもらいました。

勢いで申し込みをしてしまったとは言え、このまま迷って行動を止めていたらすごく後悔をしていたと思います。

だから、この選択をして良かったと思うのもこれからの自分の行動次第だと思っています。

私は、心のどこかで「アムウェイで失敗して良かった!人生の経験です!笑」と笑い話にしたいんだと思います。

そのために、まずはWEBマーケティングで人生を変えられないと話になりません。

なので、私は変わります!変わって見せます!

これからの自分の人生がすごく楽しみです!

最後に

私の目標は、半年後までに月30万円を稼ぐことです。
そして、2年後には月100万円を達成します。

今までの私は、

24歳、貯金ゼロ、借金約90万円ほどあります。
その上実家暮らしで友達もゼロ、彼氏もいない、高卒なので選べる仕事も少ない中、転職ばかりを繰り返して不安定な状態です。

アムウェイで失敗後、とりあえずその場しのぎで生きていた私が、目標達成するまでの人生逆転劇を届けていきたいと思っています。

そして、私と同じようにお金に困っている方や高い給料を求めて何度も転職を繰り返してしまう方に、私が実験台となりこのブログで目標を達成するまでの全過程を隠すことなく全公開していきます。

よかったら、どん底から這い上っていく私の成長過程を見に来てください。
私はもう一度、自分の人生をリスタートさせます!

ほくを
ほくを
最後まで読んでいただきありがとうござます!